文和春秋

主に歴史や本についての徒然語り

「日本一の大天狗」考

「日本一の大天狗」。 これは源頼朝の後白河法皇評として有名であり、法皇の曲者ぶりを示すものとしても良く紹介される言葉かと思います。 しかしよくよく考えればこの言葉、どういう意図が込められているのでしょうか? そもそも「曲者」に対する言葉として…

後白河法皇の評価

後白河法皇とはどのように評すべき人物か? 一般的には「老獪でしぶとい政治家」「常に武家の勢力均衡を図り策動する謀略家」といった一筋縄ではいかない曲者のイメージが強い気がするのですが、個人的にはどうも関連する知識が増えていく程、過大に見られて…

北条時政は「慧眼」なりや

「平家全盛の世に頼朝を婿に迎えた慧眼」「政治的天才」 北条時政に対したまに見るそんな激賞に、昔は大げさとは思いつつも違和感という程のものは覚えなかったのですが、奥富敬之氏の幕府成立以前の北条家についての検証などを見るにつき、だんだんと疑問を…

左遷・棚上げの官職としての太政大臣

律令政治で最高の官職と言えば、それは制度上は太政大臣で間違いないでしょう。 しかしこちらも、摂政・関白と違い律令上の規定があるとは言え、やはり高すぎる位のため原則として陣定には参加出来ず、職分も明確には規定されていないという意味でも、摂関と…

藤原道長の行動から推察する摂政・関白の地位と権限

藤原道長が摂関政治の全盛期を築き上げたのは有名ですが、その20余年の政権期の大半が右大臣・左大臣という立場で、摂政になったのは最後の1年余に過ぎないという事については、案外知られていない気がします。 以前、前から気になっていたこの「不思議な事…

平清盛の出世に対する一考察

「平清盛は白河院の落胤」という話は昔からありますが、果たしてそれにどの程度の信憑性があるものなのか? 以前は異数の出世を遂げた清盛に対する、やっかみ交じりの雑説の類という認識で、正直論ずるに足りない話としか思っていなかったのですが… 「清盛以…

春秋時代の魅力

私は中国史については全般的に興味があるのですが、一番好きな時代はと言うと… やはり紀元前の春秋時代になるかと思います。 都市国家クラスの小国も含めれば優に数百の国が存在し、周王室をはじめあらゆる権威が揺らぎだし、道義は乱れ実力主義の風潮が次第…

「則天武后」というまやかし

歴史上において、「女傑」と呼ばれる方は少なくないでしょうが、私がその言葉から真っ先にイメージする方と言えば、やはり則天大聖皇帝(通称:則天武后、武后、武則天など。正式名に適当な略称が無いので、止むえず以下武后)を置いて他にありません。 中華…

ローマ帝国(通称ビザンツ)の滅亡を飾った男

「終わりよければ全てよし」の方の事例と言って、私が真っ先に思い浮かべるものと言えば… やはりなんといってもローマ帝国(通称ビザンツ)の滅亡になります。 文字通りの千年帝国の滅亡。とはいえ半世紀程前には一時オスマンの属国の様な状態にまで落ちぶれ…

終わり悪ければすべて悪し… 六角氏の場合

「終わり良ければ全て良し」という言葉がありますが、歴史を見ていると、この言葉をしみじみと思い浮かべる事は少なくありません。 …まあ言葉通りの意味より、逆説的な意味で実感することの方が多い気もしますが。 そして戦国時代においても、今川義元や後北…

源三位の末裔たち

治承4年、源三位は先述のように自害し、一族郎党も壊滅しました。 幸い、この時都に不在だったと思われる頼兼と、知行国の伊豆にいた広綱という二人の子は生き残ったのですが、頼兼はその子頼茂の代に政争絡みによってか滅ぼされ、広綱は頼朝の挙兵に加わり…

「英雄未満」源三位②

治承4年(1180年)の源三位頼政の挙兵。 それ自体は短期間で鎮圧されて自身も自害に追い込まれるも、結果的には連鎖的に各地で反平家の挙兵を誘発し、治承・寿永の大乱の先駆け、「全盛平家の滅亡」という事態にまで発展するという、まさに歴史を動かした一…

「英雄未満」源三位①

源頼政、通称源三位。 歴史上では以仁王を擁していち早く平家打倒に立ち上がった老将として、説話の世界でも天皇を悩ます鵺を退治した武人として、それなりに名の通ったお方です。 ただ、行動それ自体は「英雄的」とも言えるのに、裏の方ではなんとも言えな…

「室町幕府衰亡の立役者」としての義教

室町幕府衰亡の原因というと、8代将軍・義政の無気力や無為無策が応仁の乱を招き云々、といった話になる事が少なくないと思います。 しかし問題の大元を辿っていくと、むしろその父親の6代・義教の数々の行動こそが遠因であり、義政はその負の遺産を受け継い…

「後西天皇」という諡号もどきについて

私は以前より諡号について興味を持っているのですが、残念ながら未だに思う様な本には巡り合えておりません。 その為、例えば天皇号にしても「『後』は漢風諡号にはNG」といった、その道の人なら常識だろうことすら知らず、「後柏原天皇はいいとして、柏原…

執権北条氏の一族相克癖

先に戦国大名北条氏の異様な結束ぶりについて述べてみましたが、思えば大元の執権北条氏が「一族相克」の見本の様な家である事を考え合わせると、「かつての名家の跡を襲う」事例自体はよくあれど、ここまで対照的な例はちょっと思いつかない様な気がします…

軍人皇帝時代への興味とささやかな疑念

私は西洋史の方も好きなので、時折読んだり調べたりする事もありますが、やはり「ローマ帝国」という存在には、色々と心惹かれるものがあります。 そして、その中でもひと際気になる時期の一つが、混沌の極みとしか言いようもない軍人皇帝時代(235~284)にな…

戦国大名北条氏の強さ

もし私が「戦国時代で一番興味深い人物は?」と問われれば、候補はいろいろ浮かぶものの、とても即答は出来ないでしょう。 しかし「戦国時代で一番興味深い勢力は?」と問われれば、迷うことなく北条氏の名前を挙げることでしょう。 それくらい北条氏の「異…

方広寺鐘銘問題を巡る一考察

方広寺鐘銘問題。 そう言いますと、「家康が豊臣家を滅ぼすために難癖をつけた」といった「難癖」を未だ少なからず目にします。 しかし「避諱」という当時の常識からすれば、少なくとも知識階級でこの問題を家康の全くの言いがかりだ、と見なした方はいなか…

鎌倉幕府の成立年代に関する私見

一時、教科書での記述の変化の事例として「鎌倉幕府の成立年が1185年になった」という話が随分と取り上げられた気がします。 今では一時の勢いが無くなった、などという話も聞くのですが、個人的には最初に見て以来、何故こんな「半端」な年代を… という思い…

「鹿ケ谷の陰謀」考

平氏政権の時代に、後白河院とその近臣達が平家打倒を謀議するも密告によって露見し、関係者多数が処分された「鹿ケ谷の陰謀」と呼ばれる事件があります。 この事件について、以前は「無謀で杜撰な計画がばれたもの」程度の認識で、特に深く考えてみる事もな…

戦国七雄考 ~何故宋は雄ではないのか~

中国史において、「春秋五覇」「戦国七雄」「五胡十六国」といった具合に数字を絡めた歴史用語はしばしば出てきますが、その際ふと思うことの一つに「これらは何故この数字なのか?」という事があります。 大体8人ぐらいは紹介される五覇や、少なくとも20国…

司馬遷と裴松之

先に司馬遷への恨み言を述べましたが、そんな折にいつもふと思い浮かべる歴史家に、「三国志」に注を付けた裴松之という方がいます。 この方はこの方で、注記を見る限り几帳面でガチガチの儒者気質といった、かなりアクの強そうな方。 主君を変えて重用され…

司馬遷への恨み言

司馬遷と言えば、「史記」を著し、後の正史の基本となる紀伝体を確立した偉大な歴史家として、その業績を否定する方はいないかと思います。 ただ、個人的には… 大いなる敬意を持つと共に、それと同量くらいの負の感情があったりもします。 それはより端的に…

歴代君主の「秦の天下統一」への貢献度

先に始皇帝の覇業について私見を述べてみましたが、より具体的に、歴代君主の「統一」への貢献度を数字で表してみるとどうなるか? 以前戯れに考えてみたものなのですが、意見の参考として、少し述べてみようかと思います。 なお、貢献度の高い順に寸評と共…

始皇帝への評価に対し感じる、違和感について

世間的に高く評価されているが、自分では今一つピンと来ない。 そんな事は誰しもあることだと思うのですが、私にとってその代表例はと言えば、やはり始皇帝になるかと思います。 戦国七雄の争いを征し、初めて天下を統一した。 皇帝制・郡県制など、二千年に…

「義経の悲劇」の原因  ~彼の常識と意識について~

源義経というと、一般的には「大功を立てながら兄に疎まれ、悲劇的な最期を遂げた英雄」といった印象を持たれている様に思うのですが、私としてはその印象、ことに「悲劇的」の部分が引っかかってなりません。 それこそ鎌倉で「武士の自立」という命題を果た…

源義経の軍事的才能についての一考察

源義経という人物はどう評価すれば良いのか? 昔は「政治的センスは皆無の戦の天才」という評価で良いだろう、と特に悩むことも無かったのですが、数年前に「平家物語」(講談社学術文庫)を読んだのを切っ掛けに、軍事面についてもあらためて考えるようにな…

面白い古典としての論語一読の勧め

私は中国の古典が好きで、訳本ではありますが結構色々と読んでいるのですが、それらの中で好きなものの一つに「論語」があります。 全文を読んだ事があるかはともかく、その一部分や名前すら知らない、という方はそういないと思うのですが、それだけ名高く身…

ローマ皇帝から考える大帝称号の「資格」と「価値」

西洋史を見ていると、時折「大帝」「大王」といった尊称で呼ばれる君主が出てきますが、その時にいつも思う事の一つに、あれはどういう基準で付けられているのか、という事があります。 この件について、少なくとも私の知っている範囲では解説している本等を…