文和春秋

主に歴史や本についての徒然語り

軍人皇帝時代への興味とささやかな疑念

私は西洋史の方も好きなので、時折読んだり調べたりする事もありますが、やはり「ローマ帝国」という存在には、色々と心惹かれるものがあります。

そして、その中でもひと際気になる時期の一つが、混沌の極みとしか言いようもない軍人皇帝時代(235~284)になります。

 

僭帝は雲霞の如く現れ、ササン朝や蛮族が相次いで帝国に侵入、疫病や異教も跋扈し…などと「三世紀の危機」の名は伊達では無い混乱ぶりなのですが、それをある意味最も顕著に示すのが、この時期の皇帝の様子です。

元老院が正式に公認した皇帝だけで26帝(僭帝を入れれば、優に倍以上)

〇自然死出来た皇帝は最大でも3帝(病死2、殺害疑惑付1)、部下による殺害は少なくとも15帝(+3の可能性あり)

〇1年に最大で6帝が横死(部下が殺害4、戦死1、自殺1)

これらの数字だけでも、凄まじさは十分伝わるのではないかと。

 

正直こんな混沌をよくもまあ収拾できたものだ、そしてその間よくもまあローマ世界そのものが崩壊せずに済んだなあ、と呆れるやら感心するやらなのですが、それと共にいつも感じてしまうのは、ディオクレティアヌス帝の功績は正当に評価されているのだろうか、という思いです。

コンスタンティヌス帝辺りと比べると、どうも無意識のうちにでも「キリスト教を弾圧した異教徒の人非人だから」、と軽く見られている面があるのではないか。

ついそう穿ちたくなるのは私の僻目でしょうか…