文和春秋

主に歴史や本についての徒然語り

藤原道長の行動から推察する摂政・関白の地位と権限

藤原道長摂関政治の全盛期を築き上げたのは有名ですが、その20余年の政権期の大半が右大臣・左大臣という立場で、摂政になったのは最後の1年余に過ぎないという事については、案外知られていない気がします。

以前、前から気になっていたこの「不思議な事実」について調べてみた事があったのですが… 結論から言えば、「摂政・関白の地位自体に実権は無い」というのが理由の様です。

 

摂政天皇代理、関白は天皇代行。共に臣下を超越した最高峰の地位であることは確かに間違いありません。

しかし同時に、共に令外官という律令に規定されていない官職であるため、「万機を総覧する」といった漠然とした職権の上、高過ぎる地位の為か実務を討議する陣定にも原則参加出来ないという、小さからぬ弱点を抱えているのもまた事実。

要は… 実力者がその地位に就けば「万機を総覧する」職権を理由にあらゆる事に公然と介入出来るのに対し、力の不十分な者が就くと「貴方の職務は『万機を総覧する』事ですから、このような瑣事に口を出されますな」と棚上げされかねない、ある種危険な官職とも言えるでしょう。

 

道長が摂関の座を固辞して左大臣固執し続けたのも、一条・三条天皇という完全にコントロール出来ない帝に対しては、名誉はあれど漠然とした権限の地位よりも、何より律令を盾に実務を牛耳れる地位を選んだが為であり、彼が後一条天皇即位と共に摂政になったのも、外祖父という絶対的な関係を確立した事でコントロール出来る確信を持てたが為だと思います。

小右記」に道長藤原実頼(「名ばかりの関白だ」と日記で自嘲した人物)の事例について問い合わせた話がある様に、まさに彼は摂関の地位と摂関政治について、歴代のどの摂関よりも深く理解の上で権力を固めた「摂関政治を極めた男」と呼べるのではないでしょうか。