文和春秋

主に歴史や本についての徒然語り

「則天武后」というまやかし

歴史上において、「女傑」と呼ばれる方は少なくないでしょうが、私がその言葉から真っ先にイメージする方と言えば、やはり則天大聖皇帝(通称:則天武后、武后、武則天など。正式名に適当な略称が無いので、止むえず以下武后)を置いて他にありません。

 

中華帝国が基本男尊女卑と言っても、女性の権力者は昔より少なからず。呂后や西大后の様に、実質皇帝並みの権力を振るった方とて、中には見受けられます。

されど… 自らの王朝を建てて帝位に就いた、という事になれば、後にも先にも武后のみです。

また、自らの手先となる酷吏だけでなく、狄仁傑のような諫言も厭わぬ名臣達をも好んで登用し国政を安定させた点なども、権勢欲だけでは無く政治家としての力量を見せた好事例と言えるでしょう。

 

無論武后には、権力の為には平気で我が子を犠牲にするといった非情さや、お気に入りの僧を侍らせ淫蕩に耽った、といった類の「悪行」も数多く伝えられています。

ただ正直これらが、「事実」にどれだけの「悪意の粉」が塗されているのか、といった疑問を感じるのも、多くの横紙破りを果たした武后への儒者達の感情を鑑みれば… また正直なところ。

 

なにせ唐を廃し、15年に渡り天下を統治した武后の周を唐に包摂してしまったり、紛れもなく即位している武后とその統治を「則天武后」「武后執政」といった、事実を含めど明らかにまやかしをまぶした表現で片づけたがる方達の語る姿なのですから…