文和春秋

主に歴史や本についての徒然語り

北条時政は「慧眼」なりや

「平家全盛の世に頼朝を婿に迎えた慧眼」「政治的天才」

北条時政に対したまに見るそんな激賞に、昔は大げさとは思いつつも違和感という程のものは覚えなかったのですが、奥富敬之氏の幕府成立以前の北条家についての検証などを見るにつき、だんだんと疑問を持つ様になってきました。

果たして、あの選択は「慧眼」によるものだったのだろうかと。

 

確かにあの当時に頼朝を婿にするという選択は、平家との軋轢などの問題を生む、一種の冒険ではあったでしょう。

しかし、関東どころか伊豆を代表する勢力ですらない北条氏のしかも傍流、という当時の時政の立場からすれば、こういう情勢でも無ければまず可能性すら無い「奇貨」であった事もまた、間違い無かったでしょう。

当時の頼朝は、例えるならば「うまくすれば破格の配当も見込めるが、裏社会絡みの為に下手を打てば全財産どころか命すら危うい、夢と危険溢れる債権」とでもいうべきものであり、伊東祐親が買えなかったのに北条時政が買えたのは、両者の能力もさることながらそれ以上に、所有する財産と責任を負う部下の数の違い、というのも大きかったのではないかと。

 

いざとなれば「婿殿の寝首を掻いての清算」という非常手段も視野には入れていたでしょうし、当時の失うものとてたいしてない時政の立場ならば、博打としての分はそう悪い案件では無かったのでは、とそんな気がしてならぬ今日この頃です…