文和春秋

主に歴史や本についての徒然語り

左遷・棚上げの官職としての太政大臣

律令政治で最高の官職と言えば、それは制度上は太政大臣で間違いないでしょう。

しかしこちらも、摂政・関白と違い律令上の規定があるとは言え、やはり高すぎる位のため原則として陣定には参加出来ず、職分も明確には規定されていないという意味でも、摂関と同様に危険な面を持つ官職だと言えます。

そして、摂政・関白が藤原北家(後には更にそのうちの御堂流のみ)という特定の家柄の者しかなれないのに対し、そういった慣例の無いこの官職は、いつしか位人臣を極めた人物の上りのポストや最高峰の追贈官職といった表の意味と共に、事実上の左遷・棚上げポストとしての裏の意味も確立していった様に思います。

 

藤原良房以降は長らく摂関経験者の上りポストだったこの官は、正暦2(991)年の藤原為光の就任を転機に、政界の長老的存在が任じられる事例もちらほら見られる様になりました。

しかし、明確に「左遷」の意図を含む様になったのは、おそらく承暦4(1080)年に内大臣藤原信長が、師実と摂関の座を争い敗れた後はサボタージュを決め込んで長らく出仕しなかったにも関わらず、「昇進」したのが先駆では無いかと。

正治元(1199)年に藤原頼実が右大臣から昇進させられて憤激したというのも、本人は元より周囲もそういう認識を無理からぬこと、と見たからだろうと思いますし。

 

本来は名誉な事たる親王宣下も事実上の左遷に使われた事例がありますし、この辺りの政治的駆け引きや裏の意味の醸成は、実に興味深いものです…