文和春秋

主に歴史や本についての徒然語り

「鹿ケ谷の陰謀」考

平氏政権の時代に、後白河院とその近臣達が平家打倒を謀議するも密告によって露見し、関係者多数が処分された「鹿ケ谷の陰謀」と呼ばれる事件があります。
この事件について、以前は「無謀で杜撰な計画がばれたもの」程度の認識で、特に深く考えてみる事もなかったのですが、あらためて「平家物語」の該当部分を読んだり当時の状況を考えてみると、さて、これは「陰謀」ではなく「因縁」の類ではなかろうか、という思いの方が強くなってきました。

まず「陰謀」発覚のタイミングが、気の進まぬながらやる羽目になってしまった比叡山攻撃の直前という、あまりにも平氏側にとって都合の良い時期である事もそうですが、首謀者とされる藤原成親や西光があまりに簡単に捕えられている事なども考え合わせると、正直、信憑性は「吾妻鏡」での比企能員の乱の記述並みに胡散臭いとしか。 
そもそも有名な「瓶子が倒れた」発言からの展開自体が、謀議というよりは「座興としての平家打倒ごっこ」とでも言った方がしっくりする気がしますし。

ただ、これが受益者たる清盛が主導したものかと言えば… 彼の西光ら「関係者」に対する乱暴な処分を見るにつけても、演技でというよりは、信用していた者達に裏切られた事に対する激怒、という色を感じる点に違和感が拭えぬ気もします。 


そんな感じでつらつらと考えていくと、明証は無論無いものの、ふと思い浮かんだのは… この「酔っぱらいの座興」を「陰謀」に「昇華」させた仕掛け人は平時忠で、事件の真の標的も平重盛だったのではなかろうか、という夢想です。

 

平時忠という人物は、高倉天皇擁立運動や義経への急接近に見られるように、機を見るに敏で、思慮分別は浅いが行動力は抜群、と言ってよい方だけに、藤原成親と縁戚関係にある重盛の地位に痛撃を加え、己が姉の子宗盛後継への流れを作らんが為にこの事件を巻き起こした… そんな可能性も無いでもないのでは、と。