文和春秋

主に歴史や本についての徒然語り

終わり悪ければすべて悪し… 六角氏の場合

「終わり良ければ全て良し」という言葉がありますが、歴史を見ていると、この言葉をしみじみと思い浮かべる事は少なくありません。 …まあ言葉通りの意味より、逆説的な意味で実感することの方が多い気もしますが。

そして戦国時代においても、今川義元後北条氏など、後者の意味で割を食っていると感じる事例は少なからず浮かびますが、そのうちの一つに六角氏の事例があります。

 

六角氏というと、信長上洛の際に鎧袖一触という感じであっさりと敗れたイメージが強いためか、あるいは北近江の浅井氏の方が信長の妹や秀吉らとの絡みもあり名高いためか、ともすれば弱小勢力だった様な印象を持つ方も少なからずおられるかと思います(あるいは「信長の野望」の様なゲームの影響かも知れませんが)。

されど、それはその5年前に起きた「観音寺騒動」という内紛により半ば内部崩壊してしまっていたが為であり… その一挙だけで、六角氏が鎌倉幕府創成期より近江に勢力を張っていた近江源氏・佐々木氏の嫡流である事や、戦国前期に管領代・六角定頼と子の義賢が近江とその周辺のみならず、一時期畿内の政局にも影響を与えるスーパーパワーの一角だったことなども、まるで忘れ去られているかの様なのは… ありがちとはいえ、悲しい事です。

 

もっともその栄光も、佐々木道誉の活躍により有力守護の一角となった分家の京極家に室町幕府創生期より後塵を拝した後の、束の間の全盛であったのも… まあ間違いはないのですが。