「日本一の大天狗」考
「日本一の大天狗」。
これは源頼朝の後白河法皇評として有名であり、法皇の曲者ぶりを示すものとしても良く紹介される言葉かと思います。
しかしよくよく考えればこの言葉、どういう意図が込められているのでしょうか?
そもそも「曲者」に対する言葉としては、「古狸」「狐狸」などと呼ぶ事例はよく見ますが、「天狗」呼ばわりは聞いたことがありません。
というより、うぬぼれ屋に対する罵声以外での「天狗」呼ばわりというのが正直思いつきませんし、ここでの天狗は引用されている「玉葉」の文脈からして、その意味とは到底思えません。
そう考えていくと… この「大天狗」呼ばわりは、他では用例の見られない「曲者」という意図で捉えるよりも、もっと虚心に、世の中を乱す怪異としての天狗を意識しての言葉、として捉える方が自然ではなかろうかと思います。
要は…
「貴方の無定見と権力欲こそが、世の乱れが一向に収まらない原因でしょう。それを自覚していますか? えっ、世を乱す天狗の大親分よ!」
といった感じの意味を込めた悪罵ではなかろうかと。
思えば頼朝と言えば、自分の命に反し自由任官した御家人達へ、書面で雨あられと痛烈な悪口雑言を浴びせた事でも名高い方です(興味のある方は「吾妻鏡」元暦二年四月十五日の状を参照下さい)。
「ネズミ眼」「ガラガラ声」「ふわふわ顔」等の身体的特徴の揶揄から、「イタチに劣る」「大ぼらふき」「(俺に首を刎ねられないよう)首に金巻いとけや」「この道草食いが」「駄馬でも育ててろ」といった感情任せの悪口まで、それはもう凄まじく…
これらの様な力の限りの罵詈雑言を、相手が相手だけに極力抑えてオブラートに包んだのが件の「大天狗」呼ばわり。
そう考えるのも、個人的には左程無理な解釈ではあるまいと思っているのですが… さて。