文和春秋

主に歴史や本についての徒然語り

「英雄未満」源三位②

治承4年(1180年)の源三位頼政の挙兵。

それ自体は短期間で鎮圧されて自身も自害に追い込まれるも、結果的には連鎖的に各地で反平家の挙兵を誘発し、治承・寿永の大乱の先駆け、「全盛平家の滅亡」という事態にまで発展するという、まさに歴史を動かした一挙と言えます。

しかし、『平家物語』の「源氏揃」の章で、平家の専横に怒り、各地の源氏の名前をずらりと挙げて以仁王に決起を促す彼の姿が実像かと言えば… やはりそうでも無い様で(但しとうの「平家」ですら、後の章で嫡男・仲綱が清盛の息子・宗盛に恥辱を受けたが為の復仇、という裏の理由が語られたりもするのですが)。

 

この辺り、元木泰雄氏らも検証しておりますが、どうも彼が経済的に深く結びついていた八条院の猶子であった以仁王に巻き込まれた、と言った方がより実際に近い様です。

何となく、喜寿になったにも関わらず、義理と生活の為に無謀で至難な戦いに引きずり込まれたという、彼の内心のぼやきでも聞こえてきそうなお話です。

 

ただ、いかに意にそまぬ仕事でもやるとなれば手は抜かず、ぼやきながら見事にこなすのも、また源三位。

以仁王の決起計画が漏れた際、その討伐軍に息子の仲綱が指名されるぐらい挙兵準備の秘匿に成功していた手腕といい、いざ戦いとなれば一族郎党壊滅するまで激しく戦って見せた剛毅さといい、やはり只者ではありません。

…もっとも、そこまで苛烈に戦ってまで落ち延びようとさせた以仁王が、逃げきれずあっさり殺されてしまった、というオチがつく辺りも、やはり源三位ぶりなのかも知れませんが。

 

まあ何はともあれ確かな事は… 私がそんな半熟英雄とも言いたくなる源三位に実に心惹かれる、という事でしょうかね。