文和春秋

主に歴史や本についての徒然語り

今に生きる「南朝正統扱い」への疑義

来年に決まった即位の儀を控え、時折歴代天皇等の事も話題に挙がる昨今。

上皇后」等の妙な造語も無論気にかかるのですが、私が聞くたびにもやっとした気分になるのは、何といっても「125代」という言葉になります。

そう、一体いつまで「南朝正統扱い」に付き合わされねばならないのだろうか、と。

 

無論、北朝とて現在では、戦前の様に「逆賊足利尊氏に擁立された偽朝」扱いを受けている訳ではありませんが、それでも系図上でも歴代数の数え方でも、「南朝正統扱い」が未だに生き続けている事に変わりはありません。

この件につきましては以前より疑問に思い、南朝正統論にどれだけまともな根拠があるのか、というのも自分なりに調べてみたものですが… 結局のところ「後嵯峨院の遺志」「後醍醐天皇の言動」「三種の神器云々」くらいしか、根拠らしい根拠は無いように思います。

 

果たしてそれは、まがりなりにも全国政権的な存在であった室町幕府に擁立され、しかも現皇室の直系の祖先でもある北朝歴代を排除してまで、建武政権崩壊後は何度かの一時的な京都奪還や征西将軍府の活躍等で振幅はあれど、基本的には吉野の地方政権でしかなかった南朝を推し続ける理由になりうるのか、正直甚だ疑問なのですが。

 

中国の後漢末の三国時代について、一般的には後漢→魏→晋という流れで正統王朝の年表を作りますが、習鑿歯という方は後漢→蜀→晋で正統王朝の年表を作ったそうです。

蜀滅亡から晋の誕生まで、数年ながら正統の空白期間が生じる年表(無論、現実世界ではその間、天下の半ば以上は魏の名の元に治められています)は、現実から乖離した妙な年表だと言う事が出来るでしょう。

さて、今に生きる南朝正統扱いはどう評すべきものなのでしょうか…