文和春秋

主に歴史や本についての徒然語り

光厳天皇除外考 ~事実と個人の妄想、何れが重きか~

昨日「南朝正統扱い」についての意見を述べましたが、この件にも関連する大きな不満事項として、特に光厳天皇の扱いについて記してみようと思います。

後醍醐天皇挙兵の後に疑いの余地なく即位し、間違いなく本物の三種の神器も持っていたかの天皇が、何故歴代から外された挙句、あまつさえ尊氏が擁立した天皇はあくまで弟の光明天皇なのに、それを無視して員数合わせの様に北朝の初代扱いされるという、二重に不当な目に合わねばならぬのか、と。

まあその理由につきましては、後醍醐天皇の「朕は退位していない」という妄言が、彼の鎌倉幕府打倒という歴史的勝利のためにまかり通ってしまったとばっちり、という以外の何物でもあるまいとは判ってはいるのですが。

 

後醍醐天皇以後の天皇の在位を、ただ事実に即して記してみれば

96.後醍醐ー97.光厳ー98.後醍醐(重祚

以外に記しようは無く、これ以降に99.光明 以降の北朝歴代を繋げ、吉野落ち後の後醍醐以下四帝を「南朝」として番外で記すのが、私としては一番穏当な記載方法ではと思えてなりません。

 

光厳」のお名前を見る度に頭に浮かぶのですが、いい加減、事実より個人の脳内妄想を重んじる記述からは脱却出来ないものか…と。